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現在、休館中です。

沿革と概要

ご挨拶

 公益財団法人中野邸記念館は、石油王中野貫一、忠太郎の親子二代が築造した邸宅と庭園、ならびに美術品の寄贈を受けて、平成9年に財団法人の認可を受けて開館、その後、平成25年4月に公益財団法人として認可をいただきました。邸宅は、近郷の棟梁の手によるもので、新潟県の明治時代の代表的木造建築であり、庭園はもみじを中心に全国の銘木、名石を集めて、40年という永い歳月をかけて築庭されたもので、樹木に多くの作為をせず、自然のままの姿で四季折々に楽しめるように造られています。

 邸宅、庭園は、ともに、慈善事業の側面もあり、当時の失業対策として、近隣の方への就業の場として、あえて長期間、大規模なものとなった経緯がありますが、時を経て、今や、後世に遺すべき貴重な文化財となりました。

 当館の特色は、美術館として優れた美術品の展示は勿論ですが、邸宅と庭園も一つの美術品として捉えて、大きな空間全体を鑑賞していただきたいと考えております。

 しばし、時を忘れ、古き良き時代に思いを馳せて、様々な美との出会いをお楽しみいただきたく存じます。

公益財団法人 中野邸記念館

中野家について

中野貫一翁
中野貫一翁
(80才の頃)

弘化3年(1846年)生、昭和3年(1928年)83才で没す

 29年の歳月をかけて商業規模の油田を掘りあてました。米国より機械掘りを導入し日本の石油王と呼ばれました。

中野忠太郎翁
中野忠太郎翁
(75才の頃)

文久2年(1862)生、昭和14年(1939)78才で没す

 父貫一16才の時に長男として出生。当時の日本を代表する数奇者で、その収集は国宝12点、重要美術品30点を含む膨大なものでした。

 

公益財団法人中野邸記念館設立趣意

 石油は、現代社会の中で欠く事のできないエネルギー源であり、生活源です。現在日本では、その殆どを輸入に頼っていますが我が国の石油の歴史は古く、今から1,300年余りも前の日本書紀に「天智天皇七年、越の国より燃ゆる土と燃ゆる水を献ず」とあります。

 我が国の幾つかの石油産地の中でも当新津市の石油の歴史は古く文献、史跡等も多く保存され、世界的にも石油発祥の地として知られております。
特に明治初期新津市金津地区には油井が林立し、他に類を見ない程の盛況を極めました。その中でも、中野家は江戸時代中期より代々庄屋を務める地主でありましたが明治時代、中野貫一翁は幾多の艱難辛苦の末明治36年、初めて商業規模の油田開発に成功し、大産油業者に成長。明治、大正時代に「日本の石油王」と呼ばれるに至りました。

 日本の石油王中野貫一翁が、全盛期の明治33年から36年にかけて当時の和風建築と造園技術の粋を集めて築造した邸宅と庭園並びに中野家所有の江戸時代以降、近・現代美術品等の私財を寄付し財団法人中野邸美術館を設立。これらの貴重な石油、建築、庭園、美術品等の文化を後世に残すべく保存、及び公開することによりその活用が新津市、新潟県の文化の進歩発展に寄与することを目的としております。

(注)文中の新津市は現在新潟市秋葉区。
  新潟市は平成19年4月に政令指定都市に移行し、区制となりました。